昭和41年05月21日 朝の御理解



 皆さん覚えておられるでしょうか。昔、昔というても二、三十年前までは、あのビ-ルは四ダ-ス入りでした。今ビ-ルはみな二ダ-ス入りになっています。今はすき箱といって中が見える様です。そしてこう手頃に持ち運びが出来る様に二ダ-スになりましたですね。すき箱になった昔は四ダ-ス箱だった。そしてきちっ中が見えない様にその代わり、一本一本わらのつとが入っておりましてね、麦わらのつとが入っておる。
 ですからこの辺でもあの麦わらのつとあみが、非常に流行ったんですがね、内職にあの時代はビ-ルは四ダ-ス箱でした。ですから中々その二人掛りでなけれは動かせませんでした。これはビ-ルに限った事ではないのですけれども、不思議にですね、あのきちっとした荷造りその時には、必ず一本位割れとりました。中がね、所があのすき箱になりまして、いわゆる手頃な持ちよいしかも中が見えよる箱、勿論、ですから、つとなんかも入っておりませんもんね。
 もう、ビ-ルはむきだし、ところどころにこう、わらが詰めてある位ですからね。所があれでもう、先ず割れると云う事がありません様になりましたですね。どう云う様な訳だと思いますかね。例えばそのなかしさん達が下ろしたり乗せたり致します時に、どうしても中が見えないと、ろくそになるんですね。二人で乗せなければならん所でも、もう、一人でもう、こうしてぽいと投げ下ろしたりする訳ですよ。割れたっちゃその時分らん。所がすき箱になりましたら、もう、割れたらすぐ分る訳なんですよ。
 ですからそれを大事に取り扱うんですね。同時に持ちよいと云う事ですね。半分になった量がですからまず割れる事がなくなった。私しゃそういう理屈なもんだと思うですね。信心しておかげを頂くと言う事は、段々お話を頂かせて貰ってですね、こげな事お願いしちゃこげな事お願いしちゃ笑われるじゃろう、もう自分な十年も十五年も信心しょってこん位なこつお願いするようなこっちゃおかしかと云う様に、自分の心の中にゃ欲しいでいっぱいでありながら、それを欲しいと表現しないお取次ぎを頂かない。
 心の中じゃじぃと拝みよる神様に。そうやってお取次を頂いて、そこんところを赤裸々にお願いしきらん。それが丁度ですね、あの四ダ-スの箱のつつみかくしとる様なもんですね。ですから中が見えると云う事。お取次は赤裸々でなくてはいけないと云う事。どうぞ助けて下さいとたった今是がいるんです。痒う御座います痛う御座いますと撫ぜて下さい擦って下さい、もう私は赤裸々にお取次を願わないかんと思う。
 但し、私が思うのはです、本当にどうでも良いという境地が生まれたら、それは又別です。どうでも良いと云う事はですね、そのね、本当に信心にならせて頂いておるんで御座いますから、おかげは神様が下さるもの。こちらは信心にさえなっていきゃ、いいんだとね。ですからいくら願ったって、頼んだってですね、それでは信心ではないと気付かして頂いたら、願う必要はなか。
 又、願わんでもおかげ下さると私は思うんです。言わば神様が先回りしておかげ下さるですね。信心がそう云う事になって参りましたならば、けども、なら、私共の信心がそこまでいかんでも、矢張り例えば、なら、子供達がですね、おやつが欲しいなら欲しいとねだらないかん。その変り矢張り、言う事聞きますよね。ちょっとそこまでお使いに行って来て頂戴。はい。おやつと交換ね。
 まあ例えば、お菓子を一つ貰うでも、なら、もう一つ貰う約束をしてから、お使いにでも行きよるね。だから欲しくないなら、是が一番有難い事です。どうでもよいと云う事になると云う事は、素晴らしい事ですね。けれども欲しいのに私は、欲しくない様な顔をしておる位詰らん事はないと思う。その辺がおかげは受け得く受け勝ちと仰るのではなかろうかと思うね。おかげの遠慮はしちゃならんという事ね。
 もう自分なもう、まあいうなら、椛目で総代だ、幹部だと言われとるのだから、こんなお願いはしちゃおかしか。もうこげなこつが一番詰らんね。欲しいなら欲しいね。その事はやっぱり願わなきゃならん、但し例えばその四ダ-ス箱から、二ダ-ス箱になったと言う所を考えなければいけませんね。自分で持てれるね、自分の分に応じた願いでなからなきゃならないと云う事は、勿論ですが、勉強もせんな、試験に合格出来ます様にといった様な事ではいけないと云う事ね。
 分に応じての願いならばです、赤裸々にですそれこそ、こちらの腹を見せなきゃいけん。すき箱の様になかりゃいけん。中が見えにゃいかん。この様な所を皆さんあの、間違えとる様な事はないじゃろうか。間違っとる様に思うんです。こんな事はお願いでけまい。心には欲しかね。御祈念の時にはお願いしよる。お取次は頂きらんし是ではおかげにならんですね。赤裸々にね、今日いくらお金が足りません。どうぞ万事お繰り合わせをとね。例えていうならばですね、もうしっかりお願いなさらないかんですね。
 それがね例えば、もし、頂いても頂かんでもですね、神様の御都合なんだから、神様が神様の御都合がおありなるんだから、親には親の都合がある事だからねというて、本当にそれが辛抱でけるなら、それが一番です。そして親の気に入る様にですね、しっかり御用でもさして頂きよりゃですね、ありゃほんなこつ、おやつやるとばら忘れとったというて、その親の方が気付いてから。
 いや気付かんでもね、言わんでちゃあれだけ一生懸命やるけんで、何か工面しておやつでも作ってやらにゃというて、親の気持ちも動く様にね、そこが出来れば問題はなんですけれども、心の辛抱がでけん程に、欲しいと思いながら、そしてそれをお願いもしないと言った様なのは、是は私は実意じゃないと、実意とは本当の事なんです。本当の心と云う事。本当の、心を赤裸々にお取次を願うという事。
 どうぞ痒う御在ますと。ここんところが痒かとおかしか、本当に痒かっちゃけん掻いて下さいとこう願わないかんと私は思う。こげんとこが痒かっばお願いしちゃおかしかね、ここんとこが私は確か皆さん、私しゃ、私自身もですね、其処ん所を何かひょっとするとお願いでけん様な風に皆さんに説いておった様な気もするです。けどここは一つ、改めさせて頂いて、欲しいなら欲しいで願わにゃいかんと云う事。
 但しここで解らなければいけない事はですね、寝そべったままありば下さいと云う事ではいけないと云う事です。信心がね、欲しいというからには、本気で親の言う事は聞くと云う事にならなければいけん。本気で教えを行じなけれはならないと云う事ですね。教えを本気で行じさせて貰う。そして欲しい事は欲しいとして赤裸々に願う。今日その事を頂かして貰ってですね、ははあ、これならいわゆるおかげを頂いて行ける。
 もう、当におかげを頂く名人という人は、確かに赤裸々にお願いするですね どんな事でもね、そして本気でその、教えに取り組むね。教えは守らん、修行はせんそしてあれも下さい、是も下さい。それじゃいくら、それが赤裸々であっても、そりゃおかげになりませんですよね。欲しいから修行もしよる、教えもいうなら、まあ本気で頂きよる。けれども、こげなこつお願いしちゃ、気の毒か、おかしかと云う様な事でですたいね、もしお願いをしない。
 いわゆるあの牛馬の事に至るまで実意を持って願えとこう仰るね。実意も持って赤裸々に願えと。それが実意をもっていると云う事なんだね。寝そべってから願えとは仰ってない。ここんところを皆さん、よう分って頂いてですね、手っ取り早う欲しいなら欲しい。本当に私しゃ今日はあれが欲しゅう御座いますと。これが欲しゅう御座いますと今日はあぁあります様にというて、私はお取次を頂いて、赤裸々にこちら腹を見せなければいけん。すき箱でなけりゃいけん。そして本気で守る所は守ります。行じる所は行じますと云う事になって来なければ、勿論ならんと思いますね。
   どうぞ。